思い出話

比較的よく見ているサッカー関連のサイトが、この時期はツール・ド・フランスの話で持ちきりです。こことかこことかね。

ツールに関しては、昔、フジが地上波でがんばっていたころは、そこそこ見ていた気がする。いつごろなんだろう?あんまり覚えていない。「小悪魔パンターニ」とかそういったフレーズは今でも覚えているけど。山岳ステージは結構好きだった。

そう、久しぶりに自転車レースのネタを見ていて思い出した。ある競走馬のことを。彼の名は、マイヨジョンヌ。決して強い馬ではなかった。記録に残るような名馬ではない。ただ猛烈に記憶に残っている。なにしろ、僕がネットの最初期に使っていたハンドルネームは、まんま、マイヨジョンヌだったぐらいだから。近鉄買収で話題になっているライブドアがまだオンザエッジとか言っていたころ、競馬関係のサイトやっていて、確かjavaを使ったオンライン競馬シュミレーションゲームをやっていたころの話。*1すごく贔屓にしていた馬だ。たぶん、バブルガムフェローが勝った天皇賞で、僕はマイヨジョンヌトウカイタローというとんでもない馬券を握り締めていたぐらいだから。*2

初めて彼の馬券を買ったのは、彼が復活した新潟大賞典。初めて降着の裁定に怒りを覚えたのが、彼が一位入線降着の裁定を受けた函館記念。最後に彼の馬券を買ったのが、その次の年の新潟大賞典。大外、ほとんど外らちぐらいのところで直線一気を決めた。(と記憶している。新潟で行われた福島記念のときだっけ、これ?)トータルでそこそこ儲けさせてくれた馬。でも他にも儲けさせてくれた馬はいろいろいるわけだから、贔屓にしていた理由は、たぶん違うところにあるんだろう。

血統的なものあるかもしれない。坂井千明とのコンビというのが渋くてかっこ良かった、というのもあるかもしれない。あまりにも不器用な競馬に自己投影したのかもしれない。まあともあれ、この馬が結構好きだった。

サイレンススズカが死んだあたりから、少しずつ競馬熱は冷めていった。大きなレースはWINSまで行って馬券を買っていたし、千葉に住んでいたということもあって、ホーム中山競馬場には、年に数度は行っていた。でも、一時のように毎週通うとか、競馬雑誌を買うとか、そういう感じではなくなっていた。

そして、今アイルランドなんかに住んでいるもんだから、すっかり事情に疎くなってしまった。当然この地にも競馬文化はある。というか、馬産に関しても、競馬の歴史にしても、日本と比べ物にならないぐらいの本場である。でも、日本のあの盛り上がり、例えば立錐の余地のない数年前までの有馬記念とかね、を経験している人間からすると、何もかも物足りない。情報量が少ないし、競馬場までのアクセスもだいぶ問題がある。だからこの地ではまだ競馬場まで足を運んでいないし、馬券も買っていない。機会があれば、いつか、とは思っているけど、なかなか、僕の中で盛り上がってこない。キングマンボ産駒が人気を集めるダービーなんて。うん、日本もそうか。

閑話休題

そう、僕にも、競馬にのめり込んでいた時代があった。ダビスタとかウィニング・ポストとかゲーム経由で、96年クラシック世代ではまった口。それから数年たって、あのころ応援していた馬達の2世が走っている。気になって調べてみるとマイヨジョンヌ種牡馬になっていた。G3クラスのこの馬がこの先どれぐらい種牡馬を続けられるか、わからない。同じリヴリア産駒のナリタタイシンが廃業になるご時世。彼の血統的な価値なんてほとんどないに等しいのだろう。悲しいけど、そう時代なんだろう。でも、一頭ぐらい活躍馬を、ダービーなんて大げさなことは言わない。地方の重賞ぐらいで穴人気を集めるぐらいの馬を。そうなれば舞台は当然、新潟。新潟記念あたりで親父さながらの走りを見せてくれるような、孝行息子を。

*1:これも最後はゴタゴタになってどうなったか良くわからないけど、一応最初期のころから参加して、馬主をやっていました。Derby Squareだっけ?

*2:当然本命馬券じゃなかったと思うけど。でもこういう馬券の方が記憶に残っているのはなぜだろう