一歴史家としての憤り

ご存知の方も多いと思いますが、僕は歴史学なんつう学問を専攻しています。
活字化された論文もあるし、出版物にもすこしばかり文章を寄せているので、駆け出しの歴史家として自称しても、問題はないと思います。

そういう歴史家としての立場から、ちょっと信じられない、そして許しがたい暴挙に関するニュースが数日前に報道されました。報道についてはこちら。簡単に言うと、アメリカ国防総省が管理している史料の一部が「うっかりミス」で紛失してしまった。そしてその史料は偶然、ブッシュ現大統領がベトナム戦争期に州兵として勤務していたことを証明する(もしくはそういう事実はなかったことを証明する)ものであった。さらになぜか、バックアップや元データーがないために、それを復元することができない、ということ。


現在僕は、アイルランド近代史を研究しているわけですが、思ったように進みません。なぜなら理由は単純。史料がないからです。アイルランドは独立に際し、長い泥沼のような内戦を経験しております。まあこの経緯は長くなるし、本題とはずれるので端折りますが、この際、何をとち狂ったのか、はたまた間違えが生じたのか、歴史的資料を保存している場所(当時はフォーコーツと呼ばれる、日本で言うところの最高裁みたいな場所に、植民地期の史料は保存されていました)に大砲を打ち込んでしまいました。結果、特に19世紀のものを中心に、多くの史料が灰へ帰してしまいました。

これがどういうことを意味しているかと言うと、一度史料が失われてしまうと、そのことを歴史学的な方法を持って検討することが非常に困難になってしまうということです。そして、検討な困難な箇所に関しては、それがいかに重要な問題であったとしても、歴史家が目を向ける可能性は、非常に少なくなるということです。実際、アイルランドの19世紀史を研究している研究者は、相対的に他の時代と比べたら少ないわけです。

この史料がないと何もできない、ということは端的に学問としての歴史学の弱点なわけですが、これを克服するための歴史家はいろいろと努力していますし、近年はそれなりに成果がでていると思います。ただ、やはり、史料があるに越したことはない。

このアメリカで起きた事件は、こういう観点から考えると、許しがたい。公的にこういった史料を保存するための機関において、そういうことを専門に行う人物が、おそらく、現大統領の歴史的な評価に結びつく可能性のある文書を、なんらかの手違いがあったのかもしれないけど、抹消してしまう。そして、それを復元するためのデーター自体も存在しない。これは歴史家としての僕の経験や理性から言って、そう簡単に信じられるものではないし、決してあってはならないことである。通常ならバックアップ用のデーターがあるはずだし、専用の機械を使えばデジタル化するのはわけない。*1また、いつそのマイクロ・フィルムが製作されたのかはわからないけど、修復作業が必要なほど痛むということはどういうことなんだろうか。アメリカ合衆国の史料公開のルールはわからないけど、ベトナム戦争期の史料なら、ようやく公開され始めたか、まだ公開されていないか、ぐらいだろうし、その程度の利用で痛むほどやわじゃない。よっぽど保存状況が悪くない限りは。それに、修復不可能な状態って、何をしたらそうなるのか。おそらく分量として1リール以上あるであろうから、単に部分的に薬品をこぼしたとか、機械に挟まって切れたとか、そういうレベルじゃない。燃やすとか、捨てるとか、シュレッダーに掛けるとか、明確な意図がない限り起こりえない。そう明確な意図。

逆にそこまでして隠したい何かがあったということなんだろうけど、この罪はものすごく大きい。現在の、そして未来に人々の知る権利を侵害し、なおかつ、その領域における歴史学の成果へ大きな損害を与えているわけだから。もちろんこのマイクロ・フィルムの利用は歴史家のみならず、他の人文・社会科学の学問領域の人間も利用するはずであっただろうし、のみならず、マスコミやジャーナリストにも、さらに誰だっていつかは閲覧可能になるはずの史料だったわけだから。 本当に恥を知れ。

*1:日本の僕のいた大学ですら、最近デジタル化する機械を導入しています。