『華氏911』(原題:Fahrenheit 9/11)

笑い、憤り、泣く。
そういう映画です。
これまでの彼の発言、著書を通じて彼が主張していたことを、彼がもっとも得意とする映像と手段を用いて、きっちりと表現しきった作品です。大統領選挙について、就任後のブッシュの行動、9・11直後の彼らのとった行動、タリバンサウジアラビア王家との関係、軍需産業との癒着、なぜイラク攻撃へ踏み切ったのか、多国籍軍の嘘、そして愛国法。これまで彼が主張していたことを、証拠を提出しながら、そしてシニカルな笑いを交えながら証明していくのが、前半部分。

後半は一転、この対イラク戦争のこれまで報道されなかった違った側面からの問題提起。完結に言えば、「貧しいアメリカ人が、罪のないイラク人と戦わされる不毛な戦争」であるということになるんだろう。インタビューに答える兵士達。誰も彼も皆若い。『地獄の黙示録』で、「サティスファクション」を歌っているローレンス・フィッシュバーンみたいな若造がゴロゴロいる。想像していたアメリカ軍とはちょっと毛色が違う。そしてそれはなぜなのか。

彼は自分の生まれ故郷のフリントの街へ向かう。終わりの見えない不況に苦しむ街。そこで行われる人狩りさながらの軍によるリクルート活動。手当たり次第に健康そうな若人に声をかける。「(黒人に対して)知っているかい?あのシャーディーだって昔、海兵隊に入隊していたんだぜ。」

こうして若く貧しいアメリカ人が軍隊へ参加していく。己の生活のため、将来の夢のため、そしてお国のため。でも彼が直面するのは、彼らがアメリカでテレビを通じてみていたイラク戦争とは違う、現実である。

そして、彼は一人の戦争で息子を失った母親へ焦点を当てていく。彼女の語りを通じて、戦争の無意味さ、国の欺瞞を主張していく。

金持ちが己の利益を守るためにテロリストをかばい、更なる利益を求めて無関係の国を攻撃し、そのたまに貧しい若者が、無関係のイラク人を殺し、結果イラク人によって彼らが殺される。その現状はマスコミを通じて決して報道されず、さらなる若者が人狩りのようにイラクへ送り込まれる。お国のため、自身の生活のため、そして将来の夢のため。

そう、この映画のもう一つの意図は徹底したアメリカのマスコミやジャーナリスへの批判である。事実を知っていた、もしくは知ることができる立場にありながら、政治的配慮や現政権との関係から、これらをちゃんと報道しないマスコミなどに対する怒りである。大本営発表を伝えるだけならばマスコミの意味はない。だからは彼は徹底して彼らを馬鹿にする。そう批判的、批評的な笑いをもって。これが彼の持つ最大の武器なのだから。

前作『ボーリング・フォー・コロンバイン』と比べたら、彼自身の露出は非常に少ない。従って彼お得意の突撃取材が全編を通じて見られるわけではない。これはこの映画の題材自体がこういう方法が取りづらいということもあるだろうけど、アカデミー賞での発言以降の彼にそういうことを安全にやれる保障がどこにもなかったということも影響しているだろう。それにそうじゃなくともブッシュに、現役大統領に突撃アポ無し取材ができる可能性はほとんどないと思うけど。

しかしながら、彼が今回集めることが出来た映像は素晴らしい。おそらく彼を信用して映像を提供してくれた名もなきカメラマンやジャーナリストの協力の賜物なんだろう。そして、その映像を絶妙な編集と洒落の聞いたナレーションでつなぐ。さらにメッセージ性の高い音楽の活用。町村氏が指摘しているように最後の「キープオン・ロッキン・イン・ザ・フリー・ワールド」はぐっときます。そう、ブッシュと彼の腹黒いお友達とムーアと彼に賛同する名もなき友人達の戦いなんだ。さあどっちにつく?