ドキュメンタリーを見る作法

アメリカでも日本でも、そしてアイルランドでもマイケル・ムーア*1の『華氏911』が話題のようです。まあ今年のカンヌを取った映画だから当然と言えば当然なんだけど。しかし、現在的な政治社会問題を突きつけているというわけだから、この話題のされ方は、僕個人的な意見としては、非常に好ましい状況だと思っています。

アイルランドでは、僕が見ている限りでは、非常に肯定的な意見が多いようです。*2アイルランドは、歴史的にアメリカと関係の深い国です。そして今、ブッシュがアイルランドに来ています。先のヨーロッパ歴訪のタイミングではなく、あえて、このタイミングでアイルランドにブッシュが来ているということは、非常に政治的な意味が深いわけです。なにせ、大統領選挙を控え、おそらくアメリカでもっとも強力な集票システムの一つである、アイルランドアメリカ人対策なんだろうけど。*3しかし、現在のアイルランド世論は結構、冷淡というか、かなり反ブッシュです。アイルランドに来る前にブッシュへインタビューしたアイルランドもマスコミの厳しさは、これを端的にあらわしています。

話が少しそれたので、本題に戻すと、僕は僕個人の政治的スタンスとは、ちょっと異なるものの、マイケル・ムーアの主張に賛同します。少なくとも『ボーリング・フォー・コロンバイン』を見て泣いた人間として。*4

現在の日本での彼の評価は、二つに割れているように思われます。一方で、彼はフェアではない。彼の一連のキャンペーンに偽善を感じ、それに対する不信感。かたや、ウェイン町山氏(id:TomoMachi)のように、彼のロック魂に共感し、無意味な戦争を終わらせようとする彼の賭けに乗ってみようという立場。

ムーアに対して、アンフェアだとか偽善だとか、いうことに何の意味があるのでしょう。ウェイン町山氏のはてなを読んで、ふと思い出したことがあったので、引用します。これはオウムを扱ったドキュメンタリー『A』のDVDに寄せられた、監督森達也氏のあとがきです。

『A』を作るまでの僕は、テレビ・ディレクターとして「公正中立、そして不偏不党」であることを常に心がけていた。実践していたつもりだった。でもそもそも人には、そんな能力は与えられていないそれに気づいたからこそ、ドキュメンタリーの意味と作ることの楽しさを、やっと知ることができた。

だから忠告します。映像はそもそも罠です。もちろんこの作品にも、いろんな罠が仕掛けてあります。

僕もそう思います。映像は罠です。いくらでも修正が可能です。でもそれを鵜呑みにせずに、それに真正面から向き合うことで、自分なりの真実を得ることが出来るんじゃないのでしょうか。そして、そういう一対一の関係、監督と自分個人との間でのせめぎあいを余儀なくされるから、ドキュメンタリー映画は面白いのだと、思います。ドキュメンタリーはジャーナリズムじゃない。それとは違う方法論をもって、それに対応しなくちゃいけない。そして、その映画の評価は、自分個人の価値観が試されているのだと。だから、早く『華氏911』がみたいのです。

*1:カソリックでムーアだから、彼もアイリッシュなんだろうか?

*2:でもいつから公開なのか、まだわからない。

*3:それに対抗して、民主党アイリッシュアメリカ人で元大統領のビル・クリントン北アイルランドへ送り込んでいるわけです

*4:ジャーナリズムから逸脱していると批判された、彼が黒人教師を抱きしめた瞬間、僕は泣きました。フェアであろうとなかろうと、人間として彼に同意します。僕が同じ立場なら、たぶん同じことをしたと思うから。そしてそれは僕にとって非常に人間的な行為だと感じられたからです。