イラクと人質と違和感と

ちーと前に一緒に住んでいるレゾ*1と先日解放された日本人の誘拐事件について話していました。たぶん事件発覚直後かな?

R=レゾ、 N=僕
R「なんかイラクで日本人が捕まったらしいね」
N「なんかそうみたいだね、日本じゃ当然トップニュース扱いらしいよ」
R「イラク人って本当馬鹿だよね。日本人拉致何になるよ。」
N「金が目的なんじゃないの?一応日本の自衛隊の退去を要求しているみたい」
R「日本の軍隊って、何しにいったの?」
N「一応人道支援らしいね。憲法で戦闘行為を行うことは禁じられているからね。
正確には軍隊を持つことも放棄しているはずなんだけどね。だから、自衛隊って
呼んでいるんだ。変な話だけど」
R「まあ、でも、捕まった日本人ってジャーナリストとかボランティアとかそういう人たちなんだろう」
N「そうみたいだね、18歳のフリーライターというのもどうかと思うけど。何しに行ったんだろうね。言葉も喋れないだろうし。」
R「年齢は特に問題じゃない。彼らはイラク人を助けるためにわざわざやって来た。それをアホなイラク人が捕まえた。これは筋が通っていないだろう。宗教指導者はそうとう怒っているぞ。敵と味方もわからないのかって。そもそもの問題はアメリカ軍が侵攻したのが問題なんだ。アメリカが帰れば解決する。日本も酷い目にあったな。」
N「一応アメリカと同盟関係にあるし、」
R「んなことわかっている。韓国だってそうじゃないか。でも、韓国人は解放されたんだろう。」
N「みたいだね。」
R「なら日本人の解放しなきゃ。」
N「まあじきに解放されるでしょう。」
R「にしても、そんなことをするから、イラクは国際社会から孤立するんだよ。誰が敵で、誰が味方かわかっていない。ボランティアやジャーナリストは敵じゃない。今のイラクの人にはそういう助けが必要なんだ。そんなこともわからないから、ダメなんだよ、あの国は。」

みたいな感じでした。この人、アメリカが嫌い、で、もともと「アメリカの犬」だった国家としてイラクも嫌い。*2で、もはやムスリムですらないのだけれども、そこに暮らす人たちは嫌いになれない、まだそういう人たちとどこかでつながっていたい、そういう感覚の人なんだろうと、思いました。

僕はどうかというと、今、日本で盛んな自作自演/自業自得、みたいな議論には加わりたくない。正直この手の議論って、あんまり意味がないと思っています。そういうフレームワークを最初に固定しちゃうとどんな状況証拠を出したとしても、そこに回収するために議論が続いていくだけなんで。

似たような議論に、ウヨク/サヨクの二項対立とか、朝日新聞批判みたいなものも、一緒にしちゃっていいのかもしれません。ウヨク/サヨクなんてフレーム、もはやほとんど機能していないと思うだけどなぁ、実際。というか、そういう枠組みを固定する、もしくは固定したい、という願望とか動機の方が、よっぽど不思議で、興味があったりします。

そもそもボランティアとか、人間の盾とかで危険なとこに行く人に、リスクを考えろ、って批判することは可能なんだろうか?そういうリスクは既に織り込み済みなんだろうし。その個人レベルのリスクではなく、国益とか、かかった費用を考えろ、という意見もあるかもしれないけど、レゾの発言にあるように、そういう人たちの活動は実は日本という国のイメージUPにものすごく貢献しているわけで、こういう行為は実は国益に結びついているんじゃないのでしょうか。でも、最近すごい勢いで使われ始めた国益という言葉の使われ方にも、ものすごく違和感があり、あんまり使いたくない言葉なんだけどね。使い勝手がいいから使うんだろうけど、計算できるの?実際、ということです。でもいつからこの言葉流行ったんだろう。10年前にはあんまり聞かなかった言葉だよね。90年代後半、グローバリズムという言葉の定着と同じぐらいかな。

こういうのをひっくるめてテロといっちゃえば、そこだけが危ないわけじゃない。どこでも危ないわけです。イラクでおこるし、イスラエルでも起こるし、スペインでも起こるし、アイルランドでも、いたずらだった見たいだけど、それみたいなことが起こりそうになった。サッカーの試合(マンチェスターU VS リヴァプール)でも自爆テロの計画があったという話です。直前に逮捕されたらしいけど。リスクを考えろとか、自業自得って言える?これからサッカーの試合を見に行くことを。

当然テロはぜったい許されるべき行為じゃない。でも、テロしか方法を与えられない状況におかれた人たちのことを理解しない限り、テロを撲滅することはできない、と思っています。

*1:イラン人、アメリカで博士号取得、元ムスリム

*2:若い人は知らないかもしれないけど、僕が小さいころイランとイラクはずーっと戦争していました。