A thesis has no name.

今書いている論文がとりあえず結論まで書き上がった。
もちろん書き上がっただけでまだ完成ではない。そもそも指導教官からOKを貰っていないから、これでいいのかもわからない。明日確認を取って、導入部分を付け足して、謝辞を書いて、整形して、製本して・・・まあ指導教官からOKさえ貰えれば今週中に形になりそう。ダメでも来週頭にはタイムリミットがやってくる。なんせ一週間後までには荷物を梱包しておかなくちゃいけないのだから。

というわけで、パラっと見直しながら、軽く祝杯。明日の午前中までにもう少し作業をしなきゃならないけど、疲れの限界に近いので軽く仮眠をとるために寝酒をあおっているというのが本当のところ。

ざっと見ただけで修正ポイントは山のように思い浮かぶ。書き足りない表現。言葉にならない泡たち。でももう限界。正直に言えば、もう一文字だって書き足したくない。英語嫌いは加速していく。

下手な英語と拙い議論と不充分な実証を除けば、個人的には面白い話になっていると思う。

メタ・レベルで説明すると、「社会の流動化」をきっかけに<国>のあり方に関する関心が高まり、一方は「お互いの多様性を認める形での<国家>像」を、他方は「(永続的にあったとされる)<伝統>や<宗教>をベースにした<国家>像」を提示し、ドロドロとした権力闘争を繰り広げました、というお話。最近良く見るような<お話>だけど、現代日本のお話じゃなく、19世紀半ばのアイルランドのお話ね。

だから本当はもう一段上の立場にある<帝国>のお話もしなきゃならないし、さらにどっちの陣営も結局<権力>だよね、という<梯子はずし>*1もやらなきゃならない。でも、今はそこまでやる能力がないので、今回は放りなげる。一応そのための史料もそろえたんだけど、ほとんど使わずじまい。なんせ上に書いた話も結構すっ飛ばしているところはすっ飛ばしているので、ちゃんと書けているかどうか、そして相手に伝わるかどうかだいぶ怪しいぐらいだから。悲しいぐらい僕が影響を受けている先行研究や隣接諸人文社会科学領域からの影響が共有されていないし。この辺は政治的に正しい言い訳として、<今後の課題>ということに。たぶん日本に帰ったらやります。

たぶん上に書いたものは、今の僕の問題関心(の一部)なんだと思う。だから、僕は「歴史教科書問題」にも首を突っ込んだし、にもかかわらず「近代史」のフィールドとしてアイルランドなんぞという決してメジャーではない地域を、そして現地ですらほとんど研究者のいない時代、テーマをネチネチと研究していたりする。僕の中ではそれらはどこかで繋がっている。もちろん断絶している部分の方が多いに決まっている。でもその繋がっている何かが、僕にとって今一番大事なことであり、これをうまく言葉にしたい。なかなか難しいのだけれども。

まあそういうわけで、もうそろそろこの論文は終わりにして、違うことをやりたい。少しは休ませろ、と心の中で叫びつつ、酒を飲みつつこんな雑文を書きながら、今大事なことを思い出した。まだタイトルが決まっていない。そういえばいつも論文がほぼ完成するときに、タイトルが決まっていなくて慌てるんだよね。大概いつもそう、だからたぶんそういうスタイルなんだろう。

*1:梯子をはずすのは実は簡単なんだけど、その先の展望がなさすぎて困っている。マルチチュード万歳と唱えるのはあまりにもセンスがないし。